同期のTくん
2017年度に同期入社した営業部の同期は僕含め6人いた。
そのなかでも特に仲が良かったのはTくん(仮称)だった。
沖縄出身ということもあってか、彼はとてもマイペースだった。
集合時間に遅れてくるし、提出期限が守れないし、社会人としてはイマイチだったんだろうけど、緩い感じがとても好きだった。
入社後半年の研修を経て、僕たち同期6人は全国散り散りに配属となった。
Tくんは地元九州に配属された。ゆくゆくは1人で沖縄を任せてもらえるよう頑張りたいと、配属時話していた。
僕たち同期は研修期間でそれなりに仲良くなれた。
四国出身のUちゃん、関西出身のAちゃん、関東出身のSくん、九州出身Hくん、そしてTくん。
地方出身者が多くレオ○レス的なところを会社で借りてもらっていて、皆で揃ってアパートを出て、小田急線でもみくちゃにされながら、毎日会社に通った。
毎週金曜日は、慣れない新宿でまずいお酒を飲んだ。入社直後は外部研修講師とかの悪口で盛り上がったりして、ちょっとずつプライベートなことも話すようになったりして。
研修終了間際には、前年度までの先輩たちの傾向から皆がどのエリアに配属になるか予想したりして、配属先での営業をちょっと楽しみにしていた。
研修期間を経て、配属先発表時にHくんは会社都合で別部署への勤務を言い渡された。
Hくんはひどくショックを受けていて、仲の良かったUちゃんとともに会社に対しての不信感を募らせていた。
Hくんは自分の考えを説明することが苦手だった。人から言われたことを過不足なく伝えることが苦手だった。
だから僕たちはHくんが何を言われたのか、どうして営業部配属でなくなったのか、分からなかったし、分かる気もした。
最初に会社を辞めたのはその2人だった。
はじめての社員旅行の翌日くらいに電話で聞いて、同月中に退職メールが流れた。
次に辞めたのはSくんだった。
彼の配属先はかなり上下関係が厳しかったようで、彼はいつも疲れた口調で、大丈夫だよ、と大丈夫じゃなさそうな雰囲気を醸していた。
彼が辞めることを知ったのは上司が口を滑らしたときだった。
本人の口から聞きたかった僕は、ちょっぴりショックを受けた。
Sくんは紳士だった。すこし汗かきだった。
内定式の後に、地方出身だったUちゃんと僕を都庁に案内してくれて、ちょっと雰囲気の良いお店に連れて行ってくれて、
ハンカチで額を押さえながら、また都庁行こうね、と言ってくれた。僕は覚えてるぜ。
同期が3人になった。2年目の秋頃だった。
誰が最後まで残るかな、とTくんとAちゃんとよく話したものだった。
3人になった同期で、2回目の社員旅行の自由時間、沖縄を散策したことが印象に残っている。
その日はとても風が強くて、あり得ないくらいとっちらかった髪型で、3人で、海岸沿いで写真を撮った。来年何人残ってるかな、と話して、翌月か翌々月くらいにAちゃんが休職した。
Aちゃんは小柄で、関西弁で、よく笑う子だった。
プライベートでも職場でもストレスを感じた、とざっくり話を聞いた。
詮索はしなかった。
半年の休職をへて彼女は退職した。
彼女の退職前に3人で博多で遊んだ。
辞めても友達やで、と言われて嬉しかったし寂しかった。
出張で関西方面に行ったときにご飯に行った。
建前じゃなくそう言ってくれてるのかな、と思えてちょっと嬉しかった。
2人になったなあ、とTくんとよく電話をした。
Tくんは先輩とうまくいっていない様子で、だけどなんくるないさ〜という態度を取っていた。
僕が落ち込んでいると、よりひどい失敗談を話して馬鹿だねーと笑わせてくれた。
Tくんは今日正式に会社を去る。
彼が辞めると聞いた時、思ったより動じない自分が悲しかった。
最後の同期で、1番仲がよかったから、もっと落ち込むかと思ったけれど、自身の無職を笑い飛ばしてみたり、ローンの残債やべーとか、いつもの愚痴みたいに、彼が話を続けるもんだから、僕はいつものように、じゃ、またね〜と電話を切りそうになって、
切りそうになって、寂しくなって
だからあえて、じゃ、またね、と電話を切った。
退職理由は5人とも違っていて、だけどどれもピンとこなかった。
でもそれはたぶん残る人に対しての配慮があったからなんだろうと、好意的に解釈しておこうと思う。
別れは美しくありたいから、だけど
だけど、綺麗にしようとしすぎて最後の最後に分からなくなりそうだった。
本当に辛いときとか厳しいときとか、寄り添える同期でありたかった。話を聞いてもらいたいと思われる存在でありたかった。
一緒に辞めたかった。
取り残されてしまった僕は、とりあえず退職金の発生する4月まではちゃんと働いて、
なんだかんだで新年度を迎えて心機一転頑張ってしまうんだと思う。
Tくん3年間ありがとう。お疲れ様。
沖縄でゆっくりローンを返済してくれ。