テンキン族
小学生のときに仲良くもなければ仲悪くもないクラスメイトEが転校した。
「テンキン族らしい」
僕は友達が発したその言葉の意味が分からなかったけれど、
「なるほどね」
と答えておいた。
大人になってから、町はテンキン族で溢れていることに気づいた。
テンキン族は珍しいものではなかったのだ。
テンキン族には、悲しいことにいい人が多かった。
仲良くなったと思ったら居なくなってしまうことも少なくなかった。
プライベートで求められる人材は、会社でも求められる人材なんだろうな、と考えるようにした。
昨秋、僕に転勤説が流れたとき、
僕は嬉しくて悲しかった。
自分もまた、テンキン族だったのだ。
僕を慕ってくれている人が、とても悲しんでくれたことが、嬉しくて悲しかった。
テンキン族は後天的なもので、自ら選び取ったもので、
だからたとえ後ろ髪引かれようとも、ジレイに従わなければならない。
眼前にはやっていけるかどうか分からない未知の世界があって、
振り返れば帰っておいで、いかないで、と自分を求めてくれている人がいて、
テンキン族は、自らの選択が濁りそうになる。
そんなとき、背中を押してくれたのもまた、テンキン族だった。
君ならあっちでもやっていけるよ、たまにあそびにいくね、たまにあそびにきてね。
テンキン族は、その歴が長くなればなるほど、羽休めできる場所が増えるということを、
その人は教えてくれて、そう思ったとき僕は、テンキン族も悪くないな、と
僕は、テンキン族になって良かったと思う。
テンキン族の生態を知れたから、人の暖かさを知れたから。
僕も良いテンキン族になれたらいいなと思う、
ありがとう