肉まんは不意に店頭から姿を消す
皆は気づいているのだろうか。
肉まんがコンビニから姿を消していることに。
彼らは音もなく去っていった。
また今年も、ありがとうを言いそびれてしまった。
彼らはいま、どこで何をしているのだろうか。
引き際を知る、彼らのように
肉まんのように、ぼくは生きたい。
お疲れ様です。
お疲れ様です。
僕の社内メールはこの一文から始まる。
社内での電話、直接会ってのコミュニケーションもまた、お疲れ様から始まる。
使いすぎて、「お疲れ様です」の価値が僕の中で下がり続けている。
この3月をもって社歴が2年目から3年目になる。
丸2年間、お疲れ様ですと言い続けてきた。
社会人3年目、僕はそろそろ「若手だから」、という言い訳が使えなくなりつつある事実に辟易としてしまう。
そして、この後うん10年も、同じことをし続けなければならないという事実に途方に暮れそうになる。
転職したら業務内容こそ変わるだろうけれど、日々働き続けなければならない(ことはないのだろうけれど一般的にはという)ことには変わりはないのだ。
ところで、うちの可愛い可愛い4人兄妹の末っ子がとうとう大学生になった。
うちの4人兄妹は全員地元の大学・地元就職はしなかったので、1人ずつ実家から旅立っていて、
最後の1人がとうとう、一昨日だったかそれくらいのタイミングで、実家から去っていった。
僕は一番最初に家から出たので、1人ずつ家族が減っていくということがどういうものなのかわからなかった。
けれど、最後の1人が去って、両親と犬だけになることを考えると、切なさで胸がいっぱいになった。
ここまで4人を育て上げてくれた両親に、心から賛辞を送りたい。お疲れ様、なんてものではない苦労の積み重ねだったに違いない。
僕は僕で、お疲れ様の価値が擦り切れるまで、もうすこし自分に余裕ができるように、仕事を、人生を頑張ってみようと思う。
それが今できる最大限の親孝行だと信じて。
夕方のコンビニにいる男子高校生
コンビニでどん兵衛に、嬉しそうにお湯を注ぐ男子高校生と思しき二人組がいた。
こんな時間にそんなもの食べたら、家でご飯たべれないでしょうに、なんで、と僕は少し考えて、そして自身の高校時代の生態を思い出した。
学校を出て、塾が始まるまでの時間、僕は友人とイオンに行って、菓子パンだとか惣菜だとかを買って、自習室で小腹を満たしていたっけ。
22時ころ帰宅して、そのあと改めて家でご飯を食べて、そんな感じだったっけ。みたいな。
親からのお小遣いとは別に塾までの軽食代を貰っていた僕は、できる限り軽食代を安く済ませてお小遣いに計上していた。
だから友人のスイートブールという巨大なパンのコストパフォーマンスの良さだったりだとかそういった情報がとても有益で、限られた予算の中いかに飽きずに腹を満たすかという、そういった青春の1ページ的なものが想起されて僕は、いつの間にかおっさんになってしまったなあと思わずにはいられなくて
あの頃の僕は何に向かって勉強していたのだろうか、もっと頑張っていれば今頃QOLは高まっていたのだろうか。
たらればを言い出せばキリがないのだけれど、あの頃の集中力のなさだったり、なけなしのプライドで必要最低限受験で求められる学力を身につける程度の努力や、なんだかんだ3年の11月くらいまで続けた部活のおかげで、某大学に入学して、卒業して、就職して、いまの交友関係が出来たわけで、
そうすると僕はほどほどに手を抜いてよかったなと思えるわけで、つまり今を割と楽しく生きているならば、どうとでも過去を肯定できるなあと、僕に気づかせてくれたのが
どん兵衛に湯を注ぐ男子高校生なのでした。
エピソード1
25歳になった。
四半世紀ほど大きな事故や病気もなく過ごすことができたようだ。
次の四半世紀ポイントは50の時。
その頃の僕はどう生きているだろうか、
どんな四半世紀を過ごしただろうか。
その次の四半世紀ポイントは75の時。
その次が迎えられるほど健康的で文化的な生活はしていないので、とりあえず人生の着地点をそこと定めてみる。
すると僕は、人生3部作における第1部、エピソード1を終えようとしているところであるといえる。
2.5時間の長編映画とすると、25歳の1年は映画のラスト0.1時間、残り6分といったところだろうか。
第1部を締めくくりつつ、第2部に繋がるシーンが含まれている時間帯だろうか。
残り30秒くらいでどんでん返し、新展開が待っているかも。
第1部は、ここまでなんとかどうにかぼちぼちハッピーである。
第1部完、を迎えるまで気が抜けないし、3部作モノの第2部は大抵つまらないものが多いので、2部を充実させるためにもその種まきを、伏線張りをしていかないといけない。
病気とかで2部打ち切りにならないよう、健康にも気をつけたい。
第2部でのキャストが多くなるように、色々な人と知り合って、様々な人生に触れたい。
来年、誕生日前日、とりあえずいい感じにエンドロールを迎えられますように、次回に期待できる予告編を描けるよう、今年1年、善く生きます、という宣言。
おわりに、誕生日おめでとうメッセージ有難うございました。とてもうれしかったです。いつでも受け付けてるのでまだの方も遠慮せずにメッセージください。以上、乞食でした。
テンキン族
小学生のときに仲良くもなければ仲悪くもないクラスメイトEが転校した。
「テンキン族らしい」
僕は友達が発したその言葉の意味が分からなかったけれど、
「なるほどね」
と答えておいた。
大人になってから、町はテンキン族で溢れていることに気づいた。
テンキン族は珍しいものではなかったのだ。
テンキン族には、悲しいことにいい人が多かった。
仲良くなったと思ったら居なくなってしまうことも少なくなかった。
プライベートで求められる人材は、会社でも求められる人材なんだろうな、と考えるようにした。
昨秋、僕に転勤説が流れたとき、
僕は嬉しくて悲しかった。
自分もまた、テンキン族だったのだ。
僕を慕ってくれている人が、とても悲しんでくれたことが、嬉しくて悲しかった。
テンキン族は後天的なもので、自ら選び取ったもので、
だからたとえ後ろ髪引かれようとも、ジレイに従わなければならない。
眼前にはやっていけるかどうか分からない未知の世界があって、
振り返れば帰っておいで、いかないで、と自分を求めてくれている人がいて、
テンキン族は、自らの選択が濁りそうになる。
そんなとき、背中を押してくれたのもまた、テンキン族だった。
君ならあっちでもやっていけるよ、たまにあそびにいくね、たまにあそびにきてね。
テンキン族は、その歴が長くなればなるほど、羽休めできる場所が増えるということを、
その人は教えてくれて、そう思ったとき僕は、テンキン族も悪くないな、と
僕は、テンキン族になって良かったと思う。
テンキン族の生態を知れたから、人の暖かさを知れたから。
僕も良いテンキン族になれたらいいなと思う、
ありがとう
曇りのち雨
僕はブログの記事に御洒落なタイトルをつけようとして、思い浮かばなくて頓挫してしまう傾向にあって、そもそも今までの記事でそんな御洒落なタイトルが付いていたことなんてないのだけれど、そんな感じで日々のプラスアルファ的な要素は何かしらこじつけの理由で諦めがちで、僕はエネルギー効率が良いのか悪いのかわからない生活をやっぱり今も送り続けていて、気がつけばもう平成最後の正月を消化して1月を終えて、アラサーようこそこんにちは、という誕生日を迎えようとしていた。
誕生日。
僕には高校の時にとても仲良くしてくれていた友人が数人いて、大学進学後もそれなりに連絡を取っていたのだけれど、その頻度もだんだん減ってきていて、それでもお互いの誕生日にメッセージを送り合うくらいの親交はあったが、とうとう今年気づいたらその友人の誕生日が過ぎてしまっていた。
当時はあんなにも親しかったのに、今では生産性のない日々の生活に埋没してしまっていることをなんとなく悲しく思うのだけれど、そう思う暇があったらごめん遅くなったけど誕生日おめでとう的なメッセージを送ればいいのに、それをするほんの数ミリの勇気が出ない。
僕のメッセージがなかったことに友人は気づいているだろうか、僕のことを覚えているだろうか、
友人の誕生日は僕より早くて、だから僕発信で辛うじて繋がっていた関係だったんじゃないかと思う。
おめでとう、おめでとう返し、おめでとう返し返し、おめでとう返し返し返し
そのおめでとうは果たして本心からのものなのだろうか、おめでとう、ありがとうだけが一年毎に更新されるトーク履歴に意味はあるのだろうか、なんとなくぼくはちょっと悲しい気持ちになって、いまの交友関係も7,8年もすればこんな感じになるのかなと悲観的になってしまったりするのだけれど、ひとえにこれはプラスアルファ的な要素を雑にしてしまうぼくの性質ゆえのもので、つまりは今の交友関係が続くか否かは多分に僕次第と言わざるをえないのだろうと思って、
だから今晩覚えていれば、友人に遅くなったけどおめでとうと送ろうと思う。
今日は雨で1月の最終営業日で、だから僕は営業先の駐車場でぼんやりと白い空を見ていたんだ。
的なこういう浸る感じの文章が書きたかっただけでした。
元気にやってるよ。アラサーになるけど。
防犯ブザー
水色のランドセルを背負った少女が防犯ブザーを鳴らした。
僕を見て鳴らしたわけではないと思う。
久々にあの電子音を聞いた。
最後に聞いたのはいつだっただろうか。
防犯ブザーが鳴るか鳴らないかのギリギリまで、栓を抜くことが好きだった。
鳴らしてしまった後のやっちまったという感覚、高まる体温、僕はクソガキだった。
幸いなことに防犯ブザーを実際に、正しい用途で使用するようなシチュエーションには遭遇しなかった。
水色のランドセルを背負った少女は1人で歩いていた。退屈そうにとぼとぼと、防犯ブザーに指をかけながら。
これ以上見つめていると正しい用途で使われてしまうと思い僕は足早にその場を去った。