ざれごと

Twitter(@taa_s3)に書ききれないことをかきます

曇りのち雨

 

僕はブログの記事に御洒落なタイトルをつけようとして、思い浮かばなくて頓挫してしまう傾向にあって、そもそも今までの記事でそんな御洒落なタイトルが付いていたことなんてないのだけれど、そんな感じで日々のプラスアルファ的な要素は何かしらこじつけの理由で諦めがちで、僕はエネルギー効率が良いのか悪いのかわからない生活をやっぱり今も送り続けていて、気がつけばもう平成最後の正月を消化して1月を終えて、アラサーようこそこんにちは、という誕生日を迎えようとしていた。

 

誕生日。

 

僕には高校の時にとても仲良くしてくれていた友人が数人いて、大学進学後もそれなりに連絡を取っていたのだけれど、その頻度もだんだん減ってきていて、それでもお互いの誕生日にメッセージを送り合うくらいの親交はあったが、とうとう今年気づいたらその友人の誕生日が過ぎてしまっていた。

 

当時はあんなにも親しかったのに、今では生産性のない日々の生活に埋没してしまっていることをなんとなく悲しく思うのだけれど、そう思う暇があったらごめん遅くなったけど誕生日おめでとう的なメッセージを送ればいいのに、それをするほんの数ミリの勇気が出ない。

 

僕のメッセージがなかったことに友人は気づいているだろうか、僕のことを覚えているだろうか、

 

友人の誕生日は僕より早くて、だから僕発信で辛うじて繋がっていた関係だったんじゃないかと思う。

 

おめでとう、おめでとう返し、おめでとう返し返し、おめでとう返し返し返し

 

そのおめでとうは果たして本心からのものなのだろうか、おめでとう、ありがとうだけが一年毎に更新されるトーク履歴に意味はあるのだろうか、なんとなくぼくはちょっと悲しい気持ちになって、いまの交友関係も7,8年もすればこんな感じになるのかなと悲観的になってしまったりするのだけれど、ひとえにこれはプラスアルファ的な要素を雑にしてしまうぼくの性質ゆえのもので、つまりは今の交友関係が続くか否かは多分に僕次第と言わざるをえないのだろうと思って、

 

だから今晩覚えていれば、友人に遅くなったけどおめでとうと送ろうと思う。

 

 

今日は雨で1月の最終営業日で、だから僕は営業先の駐車場でぼんやりと白い空を見ていたんだ。

 

的なこういう浸る感じの文章が書きたかっただけでした。

 

元気にやってるよ。アラサーになるけど。