飽
あ・きる [2] 【飽きる・厭▼きる】
( 動カ上一 )
〔四段動詞「あく」の上一段化。近世江戸語以降の形〕
① 同じ物事が何度も続いて、いやになる。いやになって、続ける気がなくなる。 「パン食に-・きる」 「仕事にすぐ-・きて長続きしない」
② 満ち足りて、これ以上はいらなくなる。 《飽》 「好きな物を-・きるほど食べたい」
③ 動詞の連用形の下に付いて、いやになるほど十分に…する意を表す。 「見-・きる」 「そんなせりふは聞き-・きた」
「飽きる」に似た言葉
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退屈 倦怠 倦む 萎える 倦厭
飽きやすい子供だった。
過去形にしてしまったが、飽きやすさは今も変わっていないと思う。
同期が会社を辞めた。
その理由は筋が通り過ぎていて、余所余所しさを感じた。
彼らの本心を引き出すには至らなかったから、飽きたんだろう、と僕は僕の物差しで彼らの無言を補った。
ところで退社時にありのまま包み隠さず退社理由を述べる人はどれくらいいるのだろうか、僕には分からないのだけれど、参考程度に今度彼らに聞いてみたいと思う。
僕は結構彼らのことが好きで、親しい友人だと思っていた。これからずっと一緒に働くビジョンこそ見えなかったけど、入社1年たらずで疎遠になるなんて想定外だった。
彼らの退社を聞いたのは上司経由だった。オフレコだけど、と上司は付け加えた。
僕は彼らに、そういえば会社辞めるんだってね、と久々の電話をした。
やりたいことができたと、ひとりは言っていた。
そっかー頑張ってね、さみしくなるなあとその場を良い雰囲気にするために適当なことを言う頃には僕は彼との関係に飽きていた。
彼らが辞めても会社は変わらず稼働し続けている。
組織としては大切なことなのだろうけれど、人としては冷たいなと思わなくはない。
かく言う僕も飽きちゃってるから何も言えないけど。
そしてそれは冷たさじゃなくてキャパの問題なんだと思う。文脈的に言い訳がましさあるけど。
好きとか嫌いとかじゃなくて、無なんだろうな。関係無
利害関係のない者に対して割くキャパは無益なのだ。
周りの勤勉さが眩しすぎて目が潰れそうになる。心が折れそうになる。
でもそれはみんな一緒なんだなあと心折れた友人を片目に少し安心する。
当落線上に立っている、気がしているだけでだいぶ線の内側な気がする。
でも誰も心のうちを見せてくれないから、僕も見せる気がないから、多分仕事やめるとか人生やめるとかそういうタイミングで、ああさっきまで僕は彼らは当落線上に居たんだなあと初めて気付くんだろう、自分含めて。
まあそもそも心折れたから辞めるっていう前提から間違っている感は否めない。(いままでの1200字はなんだったの?)
本当にやりたいことが見つかったのかもね。自分のこともよく分からないのに、他人のことなんて分かるわけないね。
結局僕は自分の物差しでしか他者の行動を評価できない。
同様に他者も僕を他者の物差しでしか測れない。
彼は何を思っていたのだろうか。
僕の物差しでは分からなかったし、分かる必要もないし、こういう距離感の人付き合いが一生続くんだろうな。
最近寒いですね。ほどほどがんばろう。
TRAIN-TRAIN
中学1年生の冬にiPod nanoを買ってもらった。
だけどCDを集める習慣がなかった僕は自分のiPodに入れる曲がなくて、父さんの部屋にあった松任谷由実とかオフコースとか尾崎豊とか、よく分からないけどとりあえずPCにぶち込んでライブラリを充実させた。
そのあと友人から借りたYUIとか、BUMP OF CHICKENとか、いわゆる(当時の)イマドキな曲も入れて混沌としたiPodになったことを今でも覚えている。
そんな混沌としたライブラリの中でとりわけ、僕はブルーハーツのTRAIN-TRAIN が好きだった。
ということを、ふと思い出した。
ここは天国じゃないんだ
かといって地獄でもない
良い奴ばかりじゃないけど
悪い奴ばかりでもない
10月になった。
今いる地にあとどれくらい居られるのだろうか。
転勤先で心細くなったとき、この曲をまた思い出せますように。
人生
家の近くのFamilyMartがつぶれた。
道路を挟んで向かいにはセブンイレブンがあった。
そのFamilyMartはいつも弁当が無くて、がらんとした店内で留学生と思しき女性アルバイターが退屈そうにしていたのが印象的だった。
道路を挟まない分、多少品ぞろえが悪かったとしてもコンビニに用がある時にはそのFamilyMartを優先した。しかし目当てものものが無くて結局店を出て横断歩道を渡りセブンイレブンに行くのだ。
僕は何も買わずに店を出るのが申し訳なくて、いつもブドウ味のハイチュウを買って、留学生アルバイターの有難うございましたを背に店を後にする。
セブンイレブンで買い物をして、帰路横断歩道を渡ると自動ドア越しにその留学生アルバイターと目が合ってちょっと気まずかった。
発注を抑えていたのは人が来ないからなのか、もう店じまいが決まっていたからなのか、どちらかわからないのだけれど品ぞろえの悪さはさらに人をその店から遠ざけた。
もはやその品揃えの悪さが癖になって僕は店の近くを通るたびにハイチュウを買った。
2か月前、そのFamilyMartは閉店した。僕は件の留学生アルバイターが元気にやってるかどうか非常に気になった。
あんな寂しいコンビニでも、彼女にとっては大切な生活費を稼ぐ場であり、そして少なからず愛着を持った場だったろうに。
彼女に思いを馳せながら僕は横断歩道を渡り、セブンイレブンでハイチュウを買った。
レジには彼女がいた。
化粧が濃くなっていて、はつらつとしていた。
なんとなく僕は人生を感じた。
なるようになる。
酷暑が続きますが倒れない程度にぼちぼち頑張ろう。
先見性
明日をやり過ごすために必要最低限しなければならないこと
明日を快適に過ごすために必要なこと
やっておけば明後日以降楽になること
やっておけばいつか自分の助けになるであろうこと
日々のタスクはたぶんざっくりこんな感じに分けることができて、僕は1番上のことをギリギリなんとかやって毎日なんとか生きている。
別にそこまで時間に追われているわけではなくて、たぶん2,3項目のこととかできていたならもっと毎日楽だろうし気持ちの良いものなのだろうと思うのだけれど、なかなかどうして将来の自分のために頑張ることができない、
なぜなら今の僕という存在そのものが、過去の自分に裏切られ続けてきた産物に他ならないからだ。
どこかでこの負の連鎖を断ち切らなければならなくて、
どこかのタイミングで明日の明後日の自分のために何かを残して、それを受け取った明日明後日の自分が明後日明々後日の自分に何か残そうという気に、なれれば良いのだろう。
と綴る僕は早速明朝の自分にカッターシャツのアイロンと明日昼期限社内提出資料の作成を託して寝る。
forget me not
初めて君と出会った日
僕はビルのむこうの空をいつまでも探してた
尾崎豊は26で亡くなって、いつの間にか僕が25になる年になっていて、
尾崎の曲はもう増えることはないのだけれど、聴き始めた14のころは理解できなかったことや、15のころは共感できなかったこととかを
今聞けばなんとなくわかるようになってたりして。
そんなかんじ。
今日は尾崎豊の命日。