ざれごと

Twitter(@taa_s3)に書ききれないことをかきます

紐付け

 

今この瞬間を覚えておこう、と気まぐれに思い立つことがある。

 

それは何気ない日常のワンシーンで、駅のホームレスとか、帰路ガードレールにぶら下げられたブリーフとか、じゃれ合う浪人生とか、大学のあった糞田舎の満天の星空とか、そういう僕の生活にあまり関係ないことだからだろうか、その15分後くらいにはもうそう思い立ったことを忘れていて、そして何週間何ヶ月か後に何となくまた思い立って、その時にやっと、前回は何を覚えておこうと思ったんだっけとちょっとだけ考えて、あー、あれだったと思い出す。

 

僕の、今この瞬間を覚えておこうと思ったことは、今この瞬間を覚えておこうと思う動作に紐付けられていて、だから自由に取り出すことはできないけれど、その動作に紐付けられた色々な日常のワンシーンは、さらにその周辺の記憶を呼び起こしてくれて、

 

だから僕は今この瞬間を覚えておこうと思ったとき、紐付けられた様々な風景と、その頃の自分のこととか、好きだったものとか嫌いだったものとか後悔とかを思い出して、感傷的になる。

 

逆に、なんとなく感傷的になったとき、僕はその時に今までの「この瞬間を覚えておこうとした自分」のことを思い出す。

 

なんとなく感傷的になったとき、僕はこの瞬間を覚えていようと思った自分を思い出して、そう思った自分が過去にたくさんいることを思い出して、本質なところで何も変わっていないんだなあと、時に嬉しく、時に悲しくなるのだけれど、そんなこともちょっと後に忘れて、だいぶ後に何かに紐付けられて思い出すんだろうなあ。

 

僕の経験や、思ったこと考えたことは、脳にどのように格納されているのか、またその格納の仕方や容量に個人差があるのか、記憶力なるものは格納の仕方の問題なのか容量の問題なのか、

 

曖昧模糊で気まぐれな僕の記憶は僕の性質ゆえなのか、普遍的なものなのか、よく分からないのだけれど(思考停止)、そんな大雑把な感じだから何となく生きていけてるんだと思うよ、という糞みたいなまとめ。

 

とりあえず今日の僕は、この記事を読み返したときに思い出せるくらいに紐付けられたはず。

 

 

いつか今日を思い出したときに、あの頃よりはマシと言える日々を過ごせていると信じて、僕は記憶のとっかかりをここに残す。