いま、いまがすぎてゆくこと
僕の朝食はあまり美味しくないブラックの缶コーヒーで、それを飲みながら眠気を不快感に変換してなんとか身体を動かして毎朝出勤しているのだけれど、そんな生活にもぼちぼち慣れつつあって、社会人1年目のひとつの山場らしい年末年始をなんとか越えることができました、そんな感じの近況です。
1日1日がさらさらと流れてゆきます。
さらさらの語源とか起源とか興味湧くなあとほざいてから1ヶ月と1週間が過ぎようとしていて、案の定ブログの更新が滞っていて、本ブログを通じて改めて自身の気まぐれさというか熱し易く冷め易い性質を再認識することとなりました。
社会人1年目、辛いことはない?とよく問われるのだけれど、そんなに辛そうに見えるのでしょうか、それとも社会人1年目あるあるトークをしたいのでしょうか。
どちらなのかよくわからないのだけれど、僕にとっての辛さは熱し易く冷め易いとか言ってられない日々にあると思います。
仕事に対して著しくモチベーションが下がっていても、また日が昇って仕事をしなければならない、弱い自分を缶コーヒーで毒殺して、1日をやり過ごす。
仕事に慣れたというよりは、弱い自分を秒で屠ることができるようになったという表現の方が正しいのかもしれません。
僕は改めて、世の働く大人全てに敬意を表したい。
街の中押し合う人の背中にいくつものドラマを感じる尾崎豊の気持ちが最近わかってきました。
この頃ふと涙流すのにも頷けます。
(参考資料:17歳の地図)
僕は多分きっととてもしょうもないレベルで生きづらさみたいなものを感じているのだけれど、みんなよく頑張れるなあ、マッチョだなあ、マッチョに生まれたかったよと思っていた時期もありましたが、それじゃあ劣等感でもっと生きづらくなりそうなので、僕はポジティブにネガティブな発想のもと生きようと思い至りました。
みんな多分それぞれ生きづらさを抱えて生きていて、その大小こそあれど当人にとってそれは深刻な悩みで、だけどその悩みはそれを悟られまいと涼しげな顔して生きていけるくらいには些細なものなんだろう。と
辛いのは僕だけじゃないし、そもそも缶コーヒーで誤魔化せる程度の辛さなんだから大したことないじゃないか。という発想。
自分自身のしょうもない生きづらさと、相手のしょうもない生きづらさに寛容になって、自分に優しく人に優しい自分であろう、そんな一年にしたいです。
無理やりまとめました。まとまってないです。でもたぶんきっとそんな感じで今年もよろしく。