ざれごと

Twitter(@taa_s3)に書ききれないことをかきます

拝啓 O先生

 

大学時代の僕はお世辞にも真面目な学生とは言えず、サークルや学外の活動にかまけて学業を蔑ろにしすぎた結果、進級や就職が困難な状況まで単位取得状況は悪化し、親に泣かれながら呆れられながら、もう1年大学に通わさせてもらって、どうにか単位を揃えて就職活動をパスし卒業をすることができたのでした。

 

僕の通っていた大学・学部も例に漏れず卒業のために論文執筆が必須だった。

論文執筆のために「ゼミ」に入ることが必要であり、そしてそれは三年次から始まるため、進級できず留まっていた僕にとってそれは、同級生が1つ上にいる気まずいシステムに他ならなかった。

 

そこで僕は、初開講されるゼミに目星を付けた。

前年度入会生が居ないため、気まずさを感じる必要がない。また、ゼミの内容が未知数であるため真面目な学生も不真面目な学生も入会に躊躇し、教授との少人数教室になると予想したのだ。

 

予想通り人気が集まるということもなく、人が集まらなさすぎて開講されないということにはならない程度には人数が集まり、Oゼミが始動した。

 

 

O先生は穏和な方だった。K大卒で知識の引き出しが非常に多く、ロジカルな話し方や歴史の時代考証に関する向き合い方がとても魅力的だった。

動機はどうであれ、それなりに楽しめそうだなと思った記憶がある。

 

1年目は「歴史とは何か」E.H.カー

を精読し、「歴史」は歴史家によって編纂された、恣意的な所作が加えられたものであるから歴史家の出自や「歴史」が書かれた時代背景を考証すべきであるという、学問に必要な姿勢を身につけ、

 

2年目は個々人の卒業論文の制作・発表が主だった。

 

 

正直僕含めOゼミの構成員はあまり真面目な学生ではなかった。

O先生の穏和な性格も相まって、明らかに準備不足な発表でも厳しくコメントされることはなく、結果堕落した雰囲気がそこにはあった。

 

2年目の前半は構成員の就職活動のためほとんどゼミがなく、後期に集まるメンバーもまばらで、その中でも僕は比較的真面目に参加していたと思う。

 

年明けに少し体調を崩し、僕はゼミを一回休んだ。

卒業論文提出間際のゼミだったが、ほとんど書き上げていたため、まあ無理して行くことはないだろうという判断のもと、まあ次のゼミに行けば良いだろう、と

 

結果的に、僕はその後Oゼミに行くことはなかった。

 

O先生は愛妻家で、その奥様が体調を崩されて入院されたとのことで、時間を作れず以降のゼミは開講されなかった。

 

(ゼミのモチベーションの低さも相まって、時間を割かなくても良いという結論に至ったのではないかと邪推してしまった)

 

頂ける筈だった卒業論文の個別コメントも貰えず、卒業式間際に1通メールがきて、尻すぼみで僕の大学生活は終了した。

 

 

 

昨晩卒業論文の単位が足りていなかったという夢を見た。

 

久々にO先生のことを思い出して、

当時使っていたgmailアカウントにログインして当時の先生とのやり取りを見返してみた。

 

 

 

僕は卒業式間際の先生からのメールに返信をしていなかった。

今返信したらびっくりされるだろうか。

 

 

有難うございましたくらい、言っておけばよかった。

 

 

お陰様で元気にやってます。先生はお変わりありませんか。

今ならもう少しまともに論文が書けそうな気がします。

 

僕は暫く先生のことを忘れていました。先生も僕のことをあまりよく覚えていないと思います。

 

2年間お世話になりました。

ゼミも授業も楽しかったです。