ざれごと

Twitter(@taa_s3)に書ききれないことをかきます

さらさらと流れてゆく

 

オノマトペ

-自然界の音・声、物事の状態や動きなどを音(おん)で象徴的に表した語。音象徴語。擬音語・擬声語・擬態語など。

(グーグル先生が教えてくれました)

 

「さらさら」、の「さらさら感」が好きで、「さらさら」を表現するにはもう「さらさら」しかないんじゃないかと思わずにはいられないほどなのだけれど、じゃあ「さらさら」って【いつ】【どこ】の【誰】が言い始めたのだろうと、僕は気になりはじめました。

 

気になりはじめましたが、これだけで論文が書けそうな内容なのではないか、ブログ開設1日目で取り組む内容では決してないのではないかと今日のところは見逃してやることにしました。

 

大学4年生(5年生)のとき、学部生として卒業論文を執筆、やっつけではありましたがひとつの作品として提出しました。

当時は内定取消を何とか避けねばと、義務感焦燥感に駆られる論文作成でした。

今となっては勿体無いなと思わずにはいられません。

自分の気になったトピックについて参考文献を読み漁り、ひとつのロジックを完成させる知的な営みを、今なら当時よりも気楽に、楽しく有意義なものにできるのではないかと僕は考えました。

 

しかしその知的な営みの前に立ちはだかる大きな壁が。

僕の言語学・音声学に対する知識の乏しさです。

なんなら、オノマトペから派生する学問に、どのようなものがあるのかさえ把握できていないのです。

知識のとっかかりの乏しさは、情報収集量の乏しさに繋がります。

そう考えたとき、一般教養(プラスα)の大切さを痛感せずにはいられませんでした。

ここで言うところの教養とは、どの学問でどのようなことを学ぶのか、という意味での教養でしょうか。

 

さらさらって言葉素敵だなあというところから思いを巡らせ、最終的に自身の教養の無さを痛感する。

最近こんなことばっかりです。なぜなにどのようにして、と考えることが好きなのに、考える材料が足りないのです。補充しなきゃ。

 

「素敵だなあ」で止まることができたなら多分幸せなのだろうと思うのだけれど、しかしそれこそ毎日が「さらさら」と過ぎ去ってしまうような気がしなくもないです。

 

これが言いたかっただけです。

明日もいいことありますように