拝啓 O先生
大学時代の僕はお世辞にも真面目な学生とは言えず、サークルや学外の活動にかまけて学業を蔑ろにしすぎた結果、進級や就職が困難な状況まで単位取得状況は悪化し、親に泣かれながら呆れられながら、もう1年大学に通わさせてもらって、どうにか単位を揃えて就職活動をパスし卒業をすることができたのでした。
僕の通っていた大学・学部も例に漏れず卒業のために論文執筆が必須だった。
論文執筆のために「ゼミ」に入ることが必要であり、そしてそれは三年次から始まるため、進級できず留まっていた僕にとってそれは、同級生が1つ上にいる気まずいシステムに他ならなかった。
そこで僕は、初開講されるゼミに目星を付けた。
前年度入会生が居ないため、気まずさを感じる必要がない。また、ゼミの内容が未知数であるため真面目な学生も不真面目な学生も入会に躊躇し、教授との少人数教室になると予想したのだ。
予想通り人気が集まるということもなく、人が集まらなさすぎて開講されないということにはならない程度には人数が集まり、Oゼミが始動した。
O先生は穏和な方だった。K大卒で知識の引き出しが非常に多く、ロジカルな話し方や歴史の時代考証に関する向き合い方がとても魅力的だった。
動機はどうであれ、それなりに楽しめそうだなと思った記憶がある。
1年目は「歴史とは何か」E.H.カー
を精読し、「歴史」は歴史家によって編纂された、恣意的な所作が加えられたものであるから歴史家の出自や「歴史」が書かれた時代背景を考証すべきであるという、学問に必要な姿勢を身につけ、
2年目は個々人の卒業論文の制作・発表が主だった。
正直僕含めOゼミの構成員はあまり真面目な学生ではなかった。
O先生の穏和な性格も相まって、明らかに準備不足な発表でも厳しくコメントされることはなく、結果堕落した雰囲気がそこにはあった。
2年目の前半は構成員の就職活動のためほとんどゼミがなく、後期に集まるメンバーもまばらで、その中でも僕は比較的真面目に参加していたと思う。
年明けに少し体調を崩し、僕はゼミを一回休んだ。
卒業論文提出間際のゼミだったが、ほとんど書き上げていたため、まあ無理して行くことはないだろうという判断のもと、まあ次のゼミに行けば良いだろう、と
結果的に、僕はその後Oゼミに行くことはなかった。
O先生は愛妻家で、その奥様が体調を崩されて入院されたとのことで、時間を作れず以降のゼミは開講されなかった。
(ゼミのモチベーションの低さも相まって、時間を割かなくても良いという結論に至ったのではないかと邪推してしまった)
頂ける筈だった卒業論文の個別コメントも貰えず、卒業式間際に1通メールがきて、尻すぼみで僕の大学生活は終了した。
昨晩卒業論文の単位が足りていなかったという夢を見た。
久々にO先生のことを思い出して、
当時使っていたgmailアカウントにログインして当時の先生とのやり取りを見返してみた。
僕は卒業式間際の先生からのメールに返信をしていなかった。
今返信したらびっくりされるだろうか。
有難うございましたくらい、言っておけばよかった。
お陰様で元気にやってます。先生はお変わりありませんか。
今ならもう少しまともに論文が書けそうな気がします。
僕は暫く先生のことを忘れていました。先生も僕のことをあまりよく覚えていないと思います。
2年間お世話になりました。
ゼミも授業も楽しかったです。
もう8月下旬だってよ
連日の酷暑を在宅勤務で回避するつもりが、思いの外微妙に毎日少しずつ外に出なければならないタスクがあり、その度に汁まみれになりながら、なんとなく仕事した気になりつつ、けれど仕事の絶対量は昨年対比80%減と言っても過言ではなく、そんな社員は僕だけではなくだいたい皆さんそんな感じということで弊社も配置換えとかでどうにかしようとしている、らしい。
もう8月下旬だってよ。
今までのような日常は戻ってこないだろうな、なんて分かったようなことを半年前くらいにはほざいていたのだけれど、分かってます感を醸したかっただけで本当にそうなるなんて思っていませんでした、とここに懺悔しておきます。
先日実家の愛犬が亡くなりました。
トイプードルのオスでした。15歳くらいだったみたいです。最期のほうは発作とかで大変だったみたいだけど、けっこう長生きしたんじゃないかな。
亡くなる前の晩に父から、覚悟しておいた方が良いと連絡があって、
その翌朝に亡くなった、と都知事の要請を無視して実家に帰っていた愚弟から連絡がありました。
その一報をうけて実家に電話をして、聞いたよ、と告げると受話器越しに母の泣き声が聞こえてきました。
僕は幸いなことに実家付近に営業先があるということで、こういった状況になるまではしばしば顔を出して、その度に番犬気取りのトイプードルに吠えられていました。
まあ僕は君と散歩したこともないしそうだよね。僕が君の立場でも吠えるよ
僕が中学2年生くらいの時に突然家族になった君は、まだ歯も生えそろってなくて、口も臭くなくて、もうあり得ないくらい可愛かったけど、僕が部活やら受験やらで構わないうちにどんどん大きくなって、君本当にトイプードルなの?というくらいのサイズ感で、舐められたら臭いし、甘噛みじゃなくてガチの噛みつき方してくるし、トイレの近くでわざわざ小便するし、たまにお気に入りの座椅子付近でウンコしてるし、びっくりするくらいポンコツに育っていました。
そのまま僕は大学進学と同時に一人暮らしを始めて、帰省のたびに吠えられ、みたいな関係性でした。
僕には2人の妹と前述の愚弟がいて、その3人の方が彼と仲良かったんじゃないかと思います。
特に弟の溺愛っぷりはもう見てられないレベルで、あり得ない言葉遣いと表情で犬を撫で回し、正直キモかったのですが、兄妹から不遇の扱いを受ける弟にとって唯一オアシスと呼べる存在だったのかもしれません。知らんけど。
都知事の要請を無視した甲斐があったんじゃないかなと思います。
あるいは、彼が弟の帰省を待っててくれたのかな、なんて想像したらちょっと泣けてきました。
泣けてくるし寝苦しいしで睡魔が何処かへ行ってしまったので、記念に残しておきます。
犬の名前はプリンと言います。
僕は中学2年生だったのでスターリンとかヒトラーとかにしたかったのですが、でかい方の妹がショコラとかふざけた名前(今思えば別にふざけてはないのですが)をつけようとしていたので、折衷案としてチャップリンから「プリン」を提示しました。僕の中ではこういう記憶になってますが妹弟たちよ、合っているだろうか。
プリンに会いたい。実家に帰って吠えて噛みついてくる君に会いたい。一度くらい散歩に行けば良かった。ウンコの処理めんどくさがるんじゃなかった。
最期に立ち会えなくてとても悲しいけれど、
うちの愚弟を待っていてくれてありがとう。
名前スターリンじゃなくて良かったね。
外出自粛シリーズ② ピッチ・パーフェクト
誰得企画第2弾。
めちゃくちゃおすすめ。
クレイジーで下品な青春群像劇。
〇あらすじと見所
舞台はアメリカの大学にある名門女声アカペラサークル。
とある出来事がきっかけで部員が激減、
サークルの立て直しのために奔走し空回りする上級生メンバー、個性豊かすぎる新入生との衝突、成長。
同大学内の男声アカペラグループとの衝突や禁じられた恋など、かなりエンタメ映画として完成度が高いです
とりあえず「騙された!」と思って冒頭5分見てみてください。この映画のすべてが詰まっています。
このノリが大丈夫という方はその後1時間40分お楽しみいただけるかと存じます。
〇個人的推しポイント
・劇中歌の華やかさ
アカペラシーンがことごとくかっこいいのでそれだけでも一見の価値ありです。
https://www.youtube.com/watch?v=K0MPuAaHVDw
・青春群像劇としてのクオリティの高さ
お下品な女子大生たちも、糞みたいな男子大学生も、皆真摯に音楽に向き合っています。
衝突し、葛藤し、和解し、高めあう過程に普通に胸が熱くなってしまって、めちゃくちゃ悔しいです。直後にビッチビッチ言い合う感じもgood
感動を返せ、という気持ちになりつつ、いつの間にか登場人物のことをとても好きになってしまうような作品です。
アマプラで1,2,ラストステージすべて視聴可能です。(2は有料らしい)
尻すぼみなのでよっぽど暇かよっぽどこの作品が好きになった人はぜひ見てみてください。
2,ラストステージまで見た人はぜひ語りましょう。
僕の好きなキャラクターはバンパーです。
次回~未定。たぶん獣になれない私たち
外出自粛シリーズ①デスノート Ligte UP THE New WORLD
暇だ。
営業先訪問規制が厳しくなり1か月が経過した。
家でできる事務作業も限られている。
そんな僕の最近の親友はHulu AmazonPrimeVideo Netflix
ただ漫然と見ても勿体ないので備忘録兼、気になって見ちゃう友人ができることを祈って印象的だった映画、ドラマの感想を綴っていこうと思います。
第一弾は、人気漫画デスノートの完全新作映画。
2016年公開の作品で、たしか大学時代の後輩と共に劇場まで足を運んだ記憶があります。
デスノートは僕が中学生くらいの時に爆発的に流行った漫画で、アニメーション化映画化等された、言わずと知れた超有名作品。
名前を書くと人が死ぬノートを使い凶悪犯罪者を裁く「キラ」とその正体を追う「L」の物語。本作品はこの漫画版デスノート原作の実写映画2本の内容を把握したうえでの視聴を推奨します。
〇総評
デスノート二次創作としてはまあまあ原作へのリスペクトが感じられて好印象。
映画作品としての評価はお察し。
〇あらすじ
映画版デスノート完結から10年後の世界。
死神の気まぐれから再びデスノートが人間界にわたり、その数6冊。
6冊のデスノートをめぐってLもどき、キラもどき、警察の推理合戦が幕を開けるぜ!
〇雑感
あらすじを見たとき結構期待しました。
デスノートにはかなり多くのルールが存在して、原作単行本におまけみたいな形でちょっとずつ記載されていたんですね。
そのうちの一つ「6冊ルール」が物語の根幹にあるという事で、かなり期待値が高かったんです。
人間界で効力を発揮するのは6冊のデスノートのみ、7冊目以降は効力を発揮しない。
だからデスノートを6冊集めて封印すれば二度とデスノート事件は起きない、集めようというLもどきと警察陣営。VSノートを集めるキラもどきの戦い
本作品は僕の記憶が正しければ公開当時まあまあ酷評だったはず。
その理由は下記の通り
①頭脳戦がチープ
ひょっとしたら致命傷かもしれない。キラとLのだまし合いを期待しちゃうと厳しいですね。
ex)キラ(もどき)を挑発して電話に応じさせ逆探知、居場所がわかったぞ!→罠でした
ex)リュークがうっかり喋るというなかなか間抜けなきっかけで物語の核心になりうるトリックを知る
②登場人物が魅力的ではない
特にLもどきが最悪。ただの声の大きいチンピラ。
③6冊のノートを活用しきれない
予想はできていたけれども、そりゃあ2時間強の映画でできることは限られているといえども、主要人物以外のノート保有者があっけなく見つかりすぎちゃうね。街中でノート使いまくるお姉ちゃんの描写は嫌いじゃなかったけど。
そんな中でなぜデスノート二次創作として評価できるのか。
以下壮絶なネタバレを含むので、未視聴で今後視聴可能性のある方はブラウザバックしてください。
物語終盤で×××がキラだったと判明するわけですが、賛否分かれるこの展開において僕は「この映画は原作をリスペクトした良い作品である」と感じました。
×××はキラ捜査本部の人間で、デスノート確保のために奔走していた人物でした。
そんな×××はノートの所有権を放棄してキラとしての記憶、ノートの記憶を失っており、Lもどきとともにキラもどきを追っていたんですね。
この展開に既視感を覚える方は漫画デスノートが好きな方です。
夜神月くんも同様の手口でLの捜査の手から逃れました。
自身をLの監視下に置き、ノートの所有権を放棄してその間別の人にノートを渡し、殺人が起こさせることで自身の潔白を証明したのでした。
そしてその後、記憶をなくした月くんはLとともにキラを追います。
この(元)キラとLの共闘は原作コミック・アニメの「ヨツバ編」にあたり、個人的にとても好きなシリーズです。
※実写映画においては「高田清美」がその役割を担っています。
その後月君はLとともにキラを割り出し逮捕、ノート確保に至るというわけです。
そこでノートを手にした月くんは記憶を取り戻し、(ノートに触るとノートに関する記憶が蘇るのです)「第二のキラ」ミサの協力を得てL殺害に成功します。
そこから第二シーズンになるのが原作版、Lが自らの名前をノートに書くことでその場で死ぬことを免れキラを確保したのが映画版(だったはず)
「計画通り」と月君がほくそ笑むシーンはあまりにも有名です。
そう、本作品はキラ自身が所有権の放棄でL陣営として捜査をする「ヨツバ編」オマージュだったのです。
そう思い至ったときに僕は、この映画の原作への深い愛を感じました。
また、ノートの存在が明らかになってからの物語、第二のL「ニア・メロ」編は実写映画では存在しません。
本作においてニア・メロ編の
・メロ(第二のLの片割れ)にノートが渡り使用する展開
・防護ヘルメットを死神の手で外させて殺害の手助けをする展開
というオマージュが散見され、実写映画で描き切れなかったヨツバ編、ニアメロ編を再編しようという気概が感じられました。
松田、ミサといった過去作登場人物も物語に絡み、特にミサの最期のシーンは特に印象的です。
デスノートファンによる二次創作としては上出来なのではないかと僕は感じました。
賛否分かれる映画ではありますが、原作ファンは一見の価値ありかも。
そんな感じ。
次回「ピッチパーフェクト」
不在
セブンイレブン照り焼きチキンとたまごのサンドは、常に選択肢の3番目くらいにいた。
出会いがいつだったか、思い出すことができない。君はいつだって、3番目の位置にいた。
いつも、居てくれたから。
今日僕は君の不在に気づいた。いや、少し前から気付いてはいたんだ。
けれど僕は、きっと珍しく売り切れているんだ、と自分に言い聞かせて、君がいつの間にかいなくなっていたことから、いなくなっていたことに気づかなかったことから、目を背けていた。
君とのお別れの日が思い出せないんだ。
君はどんな気持ちでここを去っていたのだろうか。
僕はその日、何をしていた?何を手に取った?
君はそれを、どんな気持ちで見ていたんだい?
僕は君のことが嫌いじゃなかった。
少し食べづらいことや、実は少し臭いがきついこととか、そういうところも含めて好きだったんだ。
僕は君に会いたいんだ。会って話がしたい。
馬鹿だよなあ、いつまでもそこにいるなんてこと、ないのに。
君はいま、どこで何をしているんだい。
僕は君に想いを馳せながら、チキンカツサンドを手に取った。
同期のTくん
2017年度に同期入社した営業部の同期は僕含め6人いた。
そのなかでも特に仲が良かったのはTくん(仮称)だった。
沖縄出身ということもあってか、彼はとてもマイペースだった。
集合時間に遅れてくるし、提出期限が守れないし、社会人としてはイマイチだったんだろうけど、緩い感じがとても好きだった。
入社後半年の研修を経て、僕たち同期6人は全国散り散りに配属となった。
Tくんは地元九州に配属された。ゆくゆくは1人で沖縄を任せてもらえるよう頑張りたいと、配属時話していた。
僕たち同期は研修期間でそれなりに仲良くなれた。
四国出身のUちゃん、関西出身のAちゃん、関東出身のSくん、九州出身Hくん、そしてTくん。
地方出身者が多くレオ○レス的なところを会社で借りてもらっていて、皆で揃ってアパートを出て、小田急線でもみくちゃにされながら、毎日会社に通った。
毎週金曜日は、慣れない新宿でまずいお酒を飲んだ。入社直後は外部研修講師とかの悪口で盛り上がったりして、ちょっとずつプライベートなことも話すようになったりして。
研修終了間際には、前年度までの先輩たちの傾向から皆がどのエリアに配属になるか予想したりして、配属先での営業をちょっと楽しみにしていた。
研修期間を経て、配属先発表時にHくんは会社都合で別部署への勤務を言い渡された。
Hくんはひどくショックを受けていて、仲の良かったUちゃんとともに会社に対しての不信感を募らせていた。
Hくんは自分の考えを説明することが苦手だった。人から言われたことを過不足なく伝えることが苦手だった。
だから僕たちはHくんが何を言われたのか、どうして営業部配属でなくなったのか、分からなかったし、分かる気もした。
最初に会社を辞めたのはその2人だった。
はじめての社員旅行の翌日くらいに電話で聞いて、同月中に退職メールが流れた。
次に辞めたのはSくんだった。
彼の配属先はかなり上下関係が厳しかったようで、彼はいつも疲れた口調で、大丈夫だよ、と大丈夫じゃなさそうな雰囲気を醸していた。
彼が辞めることを知ったのは上司が口を滑らしたときだった。
本人の口から聞きたかった僕は、ちょっぴりショックを受けた。
Sくんは紳士だった。すこし汗かきだった。
内定式の後に、地方出身だったUちゃんと僕を都庁に案内してくれて、ちょっと雰囲気の良いお店に連れて行ってくれて、
ハンカチで額を押さえながら、また都庁行こうね、と言ってくれた。僕は覚えてるぜ。
同期が3人になった。2年目の秋頃だった。
誰が最後まで残るかな、とTくんとAちゃんとよく話したものだった。
3人になった同期で、2回目の社員旅行の自由時間、沖縄を散策したことが印象に残っている。
その日はとても風が強くて、あり得ないくらいとっちらかった髪型で、3人で、海岸沿いで写真を撮った。来年何人残ってるかな、と話して、翌月か翌々月くらいにAちゃんが休職した。
Aちゃんは小柄で、関西弁で、よく笑う子だった。
プライベートでも職場でもストレスを感じた、とざっくり話を聞いた。
詮索はしなかった。
半年の休職をへて彼女は退職した。
彼女の退職前に3人で博多で遊んだ。
辞めても友達やで、と言われて嬉しかったし寂しかった。
出張で関西方面に行ったときにご飯に行った。
建前じゃなくそう言ってくれてるのかな、と思えてちょっと嬉しかった。
2人になったなあ、とTくんとよく電話をした。
Tくんは先輩とうまくいっていない様子で、だけどなんくるないさ〜という態度を取っていた。
僕が落ち込んでいると、よりひどい失敗談を話して馬鹿だねーと笑わせてくれた。
Tくんは今日正式に会社を去る。
彼が辞めると聞いた時、思ったより動じない自分が悲しかった。
最後の同期で、1番仲がよかったから、もっと落ち込むかと思ったけれど、自身の無職を笑い飛ばしてみたり、ローンの残債やべーとか、いつもの愚痴みたいに、彼が話を続けるもんだから、僕はいつものように、じゃ、またね〜と電話を切りそうになって、
切りそうになって、寂しくなって
だからあえて、じゃ、またね、と電話を切った。
退職理由は5人とも違っていて、だけどどれもピンとこなかった。
でもそれはたぶん残る人に対しての配慮があったからなんだろうと、好意的に解釈しておこうと思う。
別れは美しくありたいから、だけど
だけど、綺麗にしようとしすぎて最後の最後に分からなくなりそうだった。
本当に辛いときとか厳しいときとか、寄り添える同期でありたかった。話を聞いてもらいたいと思われる存在でありたかった。
一緒に辞めたかった。
取り残されてしまった僕は、とりあえず退職金の発生する4月まではちゃんと働いて、
なんだかんだで新年度を迎えて心機一転頑張ってしまうんだと思う。
Tくん3年間ありがとう。お疲れ様。
沖縄でゆっくりローンを返済してくれ。
予防線
他者に指摘されたくないことを先に自己批判すれば、それ以上の詮索や追及を避けることができる。
他者に言われたくないことを、自分で分かっているていで話すことによって、ギリギリのところで自尊心を保つことができる。
僕は数年前の君の方が魅力的だったと言われたくないから、先に昔の自分の方が好きだった、と言う。
本当は自分が好きだった時期なんてないのに。
と、言うことによって自己愛を隠す
と、言うことによって自己愛の低さを隠す
予防線を張りすぎて、本当のことを見失いそうになる。見失っている。
と、言うことによって他者からの「迷走してるね」という指摘を回避する。
何を予防しているのか。何も予防できていないのではないか。何から自分をまもっているのだろうか。
自分が守ろうとしているものは守れているのだろうか。
今日の天気は少しどんよりとしていて、少し憂鬱な気持ちになってしまいそうになるけれど
自分の予防線で雁字搦めになってしまって身動きが取れなくなりそうなときもあるけれど
たまに良いことがあるから、大丈夫なんだとおもう。
4/4以降更新が止まっていたこのブログの下書きには、書きかけの無数の残骸が溜まっていて、
解決してることもあれば、解決してないこともあるけど、
なるようになるね、たぶん。しらんけど。